仏教は必要だけど坊主は不要

1 :神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 08:47:48 ID:m1rqPHmL.net
現在の僧侶達は仏事(葬式・法事)つまり死者の祭りごとばかりに執心し
衆生の苦しみや悩みごとに耳を傾けることがほとんどない。
衆生の教化が僧侶本来の使命であるにもかかわらずその役目を果たさず
保身の為に自らの寺院経営に一辺倒な坊主どもにお布施を差し出す必要などない。

2 :神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 08:57:56 ID:rtbU3pVQ

また創価だな。

3 :神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 09:59:57 ID:G80M0rkj

私は創価学会とか興味ないですが、確かに「お経」のみ重要なわけで、坊主は不要だと思います

4 :神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 11:50:53 ID:c/5NcG+M

一体誰が供養をしてくれるのだろう
素人の供養など絶対にして欲しくないし

5 :神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 13:21:30 ID:G80M0rkj

素人の供養のほうが、破戒坊主の供養よりマシですね

6 :神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 15:14:31 ID:c/5NcG+M

なんとでも言えてしまうところでもあるね
そんなに素人が好きならその素人が集まるところ(例:2ちゃんねる宗教板)で、
実際に、好意的なレスを返し、素人な方たちと親密で友好的な人間関係を築けてなければ説得力がないよ

7 :神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 15:31:24 ID:G80M0rkj

フッ…関係ないね

8 :神も仏も名無しさん:2010/11/17(水) 20:27:02 ID:4NnJn5Dh

世襲坊主は、地盤を受け継ぐ世襲議員みたいなもんだからな。駄目になりやすい。

9 :神も仏も名無しさん:2010/11/18(木) 04:54:25 ID:qRKw4asO

私の家の近所のお寺にお盆の行事に手伝いに行った時のこと。
ホームレスの人が来て「お腹が空いてるので何か食べさせてくれませんか?」と
訪ねてきたけど、その寺の院主さんに「福祉があるから構わんでもいい!」と
相手にしないように言われた。弱者には冷淡なんだな〜とがっかりした。

10 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 09:04:29 ID:eUuv8kqY

知り合いの坊さんの過去に、高校生の時に同級生の女の子を妊娠させ
認知しないと言ったにもかかわらず女の子が産みたいと言ったので産ませたが
自己責任ということで責任を取らなかったそうだ。
坊さんが聖人君主でないといけないということもあるまい。
坊さんは性人君主であればいいのだ。

11 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 09:32:44 ID:RKnbUaMI

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

12 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 12:51:26 ID:b6oqyV0h

いや、袈裟がにくいから坊主がにくいのだ。

13 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 15:06:44 ID:I855Xcog

僧形であれ、凡夫はしょせん凡夫に過ぎない

14 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 18:24:48 ID:3Qpx4Gdn

どんな偉大な聖者でさえ あなた自身の灯明を点すことはできません。

15 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 19:14:07 ID:I855Xcog

灯ってますが、何か?

16 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 19:17:20 ID:3Qpx4Gdn

何も?

17 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 19:24:47 ID:I855Xcog

あっそ

18 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 19:30:21 ID:AVES1AhQ

>>14さんの言っている意味は、
聖者は導くことは出来るが、
導かれる人自身に求める心がなければ応じることはないということ。

結局、自分に光明を灯せるのは自分しかいない。
自らを頼りにするならカルト教祖に騙されることはない。
誰かに助けてもらおうと思うからカルト教祖に騙される。

19 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:21:25 ID:I855Xcog

だから俺は前にも言った通り「お経」を自分で学ぶことが最優先で、坊主はいらないと言うことだよ…発菩提心は「お経 」さえ読めば必然的に起こる。そこで、ズバリと悟りだ。初発心時便成正覚(華厳経)無量劫修行…求道すでに悟りなり

20 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:21:40 ID:RKnbUaMI

まぁ独学では天狗にもなるけど

21 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:35:38 ID:AVES1AhQ

求道すでに悟りなりは、
お釈迦様が菩提樹の下で仏道を貫く不退転の覚悟があってのこと。
本屋で仏教書を買うのも菩提心には違いないけど、
お釈迦様の覚悟とは同列に出来ない。
本屋で仏教書買っても、1ヶ月後には、飽きてやめちゃう人も多い。

22 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:43:56 ID:I855Xcog

そうかも知れない…だが大乗経典には読んだだけで悟れるお経がある…法華と華厳…おすすめ。人生を賭けて読むべきだ…釈迦の悟りに及ばずとも、ある種のエンライトンメントに達する

23 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:46:57 ID:I855Xcog

禅宗坊主みたいに座ってもうろくでもない妄想に取り憑かれる危険を回避できるし、とにかくスパリと悟りだ(久遠の過去と永遠の未来の果てが、今の一瞬に収まるからだ)

24 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 20:58:53 ID:AVES1AhQ

華厳経と法華経のオススメは良いけど、
他宗の批判は必要なかったな。

25 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 22:13:51 ID:I855Xcog

禅宗は天狗なので、叩いて差し支えありません(キッパリ)だいたいこの輩は小乗です。大乗は看板に過ぎないので…

26 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 22:14:55 ID:I855Xcog

およそ、大乗以外は仏教の名に値しません。

27 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 22:20:20 ID:I855Xcog

私はダライ・ラマさえ信用していません。階級制度の土台の上に立ち偉そうなもっともらしい説法は西洋人のような「お子さま」にはふさわしいですが、日本人の真実への凝視は恐ろしいまでにシビアなのです。日本華厳宗のみまともな程度でしょう

28 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 22:26:35 ID:AVES1AhQ

偉そうなのはアンタだよ。
日本でアンタみたいな攻撃的な態度を受け入れてくれる人は少ないだろうね。
ネットだから、好き勝手言えるんだろうけど。

29 :神も仏も名無しさん:2010/11/19(金) 22:28:25 ID:I855Xcog

どうぞご勝手に

30 :神も仏も名無しさん:2010/11/26(金) 08:03:33 ID:xYY84/ek

知り合いの住職さんはまことに人間らしい人だ。1000万クラスのベンツに乗り
愛人2人に子供を産ませ養育費を毎月支払い、息抜きにキャバレー通い。
人生を謳歌している。ちなみにこういうことをよく言う。
「日本の坊さんは、みすぼらしい恰好していたらいけねえ。いい格好してないとだめだ。
いい女抱いて、いい車乗って、いい食いもん食ってこそが人間の幸せなんだ。」と言う。
そして境内の霊園墓地の墓をうるべく営業マン達を叱咤激励する日々だ。
日本の坊さんは徳が無ければいけないのでない、得があれば満足するのだ。

33 :神も仏も名無しさん:2010/12/08(水) 18:03:18 ID:5lKpGF5g

これが日本になると、自分の食い扶持の心配ばかりして、
ヒステリックにチベット・上座部を攻撃する自称”坊主”ばっかり

口では「すべての衆生を救う」とか空念仏ばかり称えるが、実行には移さない。
観念的で誇大妄想的なヒーロー幻想に浸って、
現実的にどうやったら具体的に衆生を救えるかとかは考えない

変なイベント開いて、なんとか金づるを逃がすまいと腐心するばかり
(坊主BARしかり、この前ロフトで開かれたトークショーしかり)

35 :神も仏も名無しさん:2010/12/08(水) 18:21:27 ID:MMTY3JRs

事実上地球上にはもはや、いわゆる「仏教」などない。ラーマクリシュナ・ミッションの爪の垢でも煎じて飲んでろ!バカめ!華厳経のみ偉大なだけだ!バカめ!

38 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/12/10(金) 20:44:08 ID:4BG6abys

>>1
この世のもので比べることも、言語表現することもできない《この上なき最上の喜びの境地=ニルヴァーナ》を知った者は、世を厭
い離れ無所有で、森や林・荒野で静けさを目指した釈尊と修行僧は、唯一の正しい信仰対象と認める。

神々と対話しても、人助けをしてくれる存在ではないようで、五欲の対象や、その他諸々の欲望に関する貪りを捨て去る釈尊と修行
僧寄り。

ニルヴァーナを知っても、《世を厭い離ることなく、諸々の欲望に関する貪り》を捨てきれず、《妄執というひとつのものに一切の
ものが従属》し、再び下界に生まれる運命となるのも、輪廻転生をも説いた釈尊の教えは正しい。
また、神々が自分の所に来て、人は輪廻し苦しみから離脱できないと説くのも、五欲の対象やその他諸々の欲望に関する貪りを捨て、
我々の所に生まれられるようになれと指導するのも、釈尊と修行僧の行いと変わらない。

39 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/12/10(金) 20:44:50 ID:4BG6abys

しかし、修行完成者として、多くの人々のため慈悲やあわれみを説いたのも、この世でのニルヴァーナ(自己を乗り越えた最上の境
地)である。

人として地で生き続けても、彼岸の者のように、森や林など大自然を楽しんでいる時のように、世のことに思い煩ったり・悩んだり・
苦しんだりせず、健康的な精神で喜んで生きることをよしとし、彼岸の者のように、《一切の生きとし生けるものの幸福と安穏と安
楽な暮らし》を行い、善い行いを人々に指導すればよいのである。

自己と世に思い煩い苦しんでいる人々には、《この身は泡沫のごとく、世の中は泡沫のごとく》《すべては水の泡か陽炎のごとし》
そのように観ずることに努め、苦悩の緩和に努めることを指導すればよいのである。

《妄執というひとつのものに一切のものが従属し、下界で苦しみ》《この世を厭い離れ、自己に克つ》ことのほうが善いことであり、
《悪は一切なく、平安に満ち喜びに満ちた境地が人々の世では、慈しみのこころづかい》であるから、慈しみのこころづかいが崇高
と説き指導するのは、当然のことである。

欲を捨てきれない衆生の教化も、地で生き続ける全ての衆生のために、慈悲を指導するが仏教の使命で、葬式・法事ではない。

43 :神も仏も名無しさん:2010/12/10(金) 21:25:10 ID:oL3zdYUi

夢は必ずかなうかい?人間は好きかい?金なんていらないかい?腹が減ってもメシはいらないかい?クソがしたくなったら死ぬまで我慢するのかい?たわごとだ。バカバカしい…

44 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/12/10(金) 21:46:29 ID:4BG6abys

輪廻転生から逃れるのは大変難しく、釈尊と修行僧がなぜ人里離れた場所で、静けさを目指して修行したのか理解できない者どもが多
い。
妄執を乗り越えた清浄な状態(きれいな状態)は、神々であり、この世では人里離れ森の中でわずかな食物で暮らす生活を守り、離欲
を達成しようとする修行者だけである。

その他全ての人々は、妄執を乗り越えることができず、再びこの生存状態(下界)に生まれる構造になっている。

宗教儀式・行事を行って取る・取られるという行為があっても、取る・取られるだけのことであり、離欲を目指し静けさに安住しよう
とするか、離欲が達成できなくとも、慈しみのこころづかいをよしとして、幸せに暮らすことしかないのである。

―富を得ると、自分を楽しませ、喜ばせ、父母を楽しませ、喜ばせ、妻子を楽しませ、喜ばせ〜友人・朋輩を楽しませ〜愚劣な人が富
を得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。健き人・智慧のある人は、富を得たならば、自ら用い、またなすべきことをなす―
(神々との対話)

 不浄は不浄と認めて思い上がらず、妻子・他人に分かち与えて喜ばしても、宗教儀式・行事で取る・取られる行いをするより、
 仏教なのである。

45 :神も仏も名無しさん:2010/12/10(金) 22:05:26 ID:oL3zdYUi

自らの妄執を取り除いてから言ってね…おばかさん

49 :神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 13:52:53 ID:CfRx0S86

当たり前。馬鹿ですか?誰でも知ってるちゅうね。ところで上記の事柄もやはり幻なのである。悟ってもいないくせに生意気なヤツが多いな…おばかさん

55 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/12/15(水) 21:48:24 ID:OGnc3mqb

釈尊と修行僧を尊敬するなら、修行僧のように、わずかな食物で暮らす生活を守れず、諸々の感官を静めようとせず、離欲を達成しよ
うと日々努めていない人々は、再び母胎に宿るということを認めることである。

―人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり、人はそれを身につけておもむく。それは、かれに従うものである
―影がそのからだから離れないように。それ故に善いことをなして、来世のために功徳を積め―(神々との対話)

58 :ネットサーファー@神の国:2010/12/17(金) 10:00:46 ID:5pF4nPV4

坊主が金を稼いでいることを見れば、その経済における価値は明らかである。

59 :神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 08:54:44 ID:zXagj5dE

ばーか!いい加減にせえよ、クソだぬき小乗野郎め!大乗にも難行道と易行道があるんだよ。だいたい「他力」の何が悪いの?楽して救われるならそれに越したこたぁねえ。各駅停車の鈍行で移動するのはクタクタになっちまう。出来れば新幹線のぞみで豪速球移動したい

61 :神も仏も名無しさん:2010/12/18(土) 12:23:20 ID:ykTPDjtv

要はね。悟りなんか開かなくてもいいという話。仏教そのものの存在を根底から崩すことになるけども。
自分のやりたいように好き勝手やって酒池肉林で修羅のまんまで生涯を終えたら人間らしくていいじゃない。
お釈迦さんは修行苦行の末、悟りを開いた。つまり真理を発見したわけ。そこから始まるのが利他行(他の人や社会の為になることを実践する)。
お釈迦さんは真理を発見した人には社会の為に役だってほしいと考えていた。そこが仏教の醍醐味。ここ重要。
お釈迦さんの真理というのはお釈迦さんしか分からない。それを弟子たちに教えようとしたけど教えられるものではなかった。
悟りなんて近いようで遠く、遠いようで近いものだと思うよ。難しいようで簡単だったりするかも。実は案外身近にあるものじゃないかと。
そういう意味では大乗という形の仏教ではお釈迦さんの目指してる目標とそもそもが矛盾するけど。
仏教教団を大衆に受け入れられる為やむ終えない形ではあると思う。その為お手軽仏教になってしまったわけだけどね。
それと悟りを開いたからと言って満ちたされた人間になるわけではないと思う。人生が楽勝になるわけでないよ。ここも重要。
人間なんだもの。死ぬまで自分の中の不満足な欲求と対峙して、身の丈に合わして生きていくしかない。それが出来なければ破たんするだけなんだ。

62 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/12/19(日) 00:05:33 ID:ziVmH719

現代で《この上なき最上の喜びの境地=ニルヴァーナ》を知り、神々とも対話し、仏教を正しく伝えることのできる者は私しかいなく
なったか。それほど愚者・愚鈍、或いは下劣な者は多い。

 自分で努力し、離欲を達成するので、離欲の境地に安住できる。欲を全て離れようとせず、その世界に到達しようとする者どもは
 「下劣」=釈尊も法を説くため、人里離れ離欲を修行僧に指導した。

多くの在家の生活を営む信者(善と悪の業)

 ―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜足ることを知り、わずかの食物で暮らし〜一切の生きとし生けるものは、
 幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものども
 に対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―(ブッダのことば)

 ― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない ―(神々との対話)

68 :神も仏も名無しさん:2010/12/19(日) 13:23:11 ID:nrArW17n


↑ 供養
坊主
↑ お布施
衆生

そもそもこういう図式なんだから、坊主に衆生の悩み事解決や教化を求めるのはおかしい。
衆生には仏からのご利益があるのみ。

71 :神も仏も名無しさん:2010/12/20(月) 21:14:21 ID:UC+2gl1L

弟子、なのか?
弟子だとしても霊的に近しい人と疎遠なランクの人まで
まちまちだと思うけど。
そんなあからさまにお布施を要求する坊主はいないと思うけど
(まぁ実際にいたのなら、ほっとけ)
生半可なやり方では霊魂の貪瞋癡に汚染されるよ。

81 :神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 13:42:47 ID:C5OHMLN3

>>79
ブッダ=覚者=真理を悟った人というのは仏教では絶対必要。
それが無いなら仏教の本来の意味は無い。仏教の醍醐味!
つまり仏教の存在意義なんだ。

85 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/12/29(水) 21:24:11 ID:JUJtOF1w

中には愚鈍・愚劣・愚人どもに惑わされずにまともな人間がいるかもしれない。

 一.下界(欲界)に二度と生まれることのない者は、欲を捨て世を捨て、足ることを知り、物欲・物の便利さにも喜んで暮らすことのない者で、
   むしろそれらがないことに喜び、離欲に満足して暮らす者でなくてはいけない。わずかな食物で満足して暮らす生活の者でなくてはいけな
   い。

 二.人間という生存状態はニルヴァーナを知れず、このような今の生存状態で見たこと、考えられたこと、聞いたことでも完全には知ることが
   できないようになっている。真理を見る人には何ものも存在せず、人間の如何なる考えも超越している。
   しかし、この世で表現するなら無量の慈しみである。
   平安の境地ニルヴァーナは慈しみのこころづかい、この世では崇高な境地と説いてあるとおり。一切の生きとし生けるものをあわれむ修行
   完成者ブッダに罪過は存在しないと説いてあるとおり。

 三.善業は慈悲・あわれみの心に従った行為。離欲を行わず、信仰しようとする人々は善業を学ぶ。

 四.自ら愚鈍・愚劣な者であるかどうかは、愚鈍・愚劣な者には全くわからない。

 五.信仰深い・信仰熱心・信仰に励もうとしながら、神々の世界・天にも知られた愚人は、「釣る」=釣られることを正しい・利益があると信
   じさせる。

91 :神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 23:59:44 ID:kEx4Ka0N

仏教などないバカが

95 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/12/31(金) 23:14:06 ID:xtLPIYbd

しかも、衣食のない人々・貧窮で困り、生活もできない人々・・・それらの人々への配慮を思う心は、多くの人々の内に仏もあり、必要だと思う状況に
遭遇した場合、行えるようになっている。

 ―この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を退け、他人が与えようとするのを妨げる人々、かれらは、地獄、畜生の体内、閻魔の世界に生まれる―
  (神々との対話)

 神々も下界の人々を黙って認め(寛容)、ニルヴァーナ(仏の心)で欲界(苦悩もあるところ)と認めれば、慈悲・あわれみに反する行為は悪業・
 慈悲・あわれみに従う行為は善業という、行為だけで欲界は成り立っている。その欲界で苦しいと思えば、他を頼りとせず、世と自己との思い煩い
 を離れるような欲の自制と安らぎを求める行為。

 欲界である理想は、肉体を得た自己の尊重(誰もがひとりひとりを尊重すること)であり、節度ある行為・自制である。肉体でない世界の理想は、
 自己の消滅である。

  五.信仰深い・信仰熱心・信仰に励もうとしながら、神々の世界・天にも知られた愚人は、「釣る」=釣られることを正しい・利益があると信
    じさせる・・・人々が実際行って、そのとおりになる正直な行為しかないので、邪まな見解を抱く愚人は、釣られ束縛を受ける。

100 :神も仏も名無しさん:2011/01/01(土) 16:44:48 ID:J4uAqOUQ

>>89
>ニルバーナよりさらに高い理想があることを小乗卑賤の輩は知ることが出来ない

その高い理想とやらのために指一本でも動かしたのかねえ?

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